女と男のいる舗道 | 平凡な女の悲劇(あるいは喜劇)
比較的わかりやすいゴダール
『女と男のいる舗道』(Vivre sa vie: Film en douze tableaux/1962/フランス)
監督:ジャン=リュック・ゴダール 出演:アンナ・カリーナ、サディ・レボ、アンドレ・S・ラバルト
人生ってなんてあっけないの。
娼婦が似合う女優といえば、わたしの中ではエマニュエル・べアールかアンナ・カリーナかといった感じなのですが、本作ではアンナのけだるい娼婦っぷりが存分にお楽しみいただけます。ゴダールの初期作品に多く出演している彼女ですが、本作では特に美しい!それもそのはず、当時アンナと結婚したばかりだったゴダールは、演技をしていない彼女のカットをわざと挿入し、素の彼女の美しさも生々しく残したのです。(このことは彼女を相当怒らせたようですが…)『女は女である』と同様、ゴダールのアンナへの愛を感じる一作です。
ところで「アンナ・カリーナ」という芸名は17歳でパリに出てきた当時、偶然出会ったココ・シャネルが授けたそうです。何気にびっくりしたエピソード。
あらすじ:女優を夢見る女が売春婦になってヒモができて堕ちるとこまで堕ちていきます。
女優を夢見ながらパリのレコード店で働いているナナ(アンナ・カリーナ)。ある日、舗道で出会った男に体を売ってしまいます。そこから先はあっという間の転落人生、のし上がるのは大変だけど堕ちるのは早い…。そんな様子が淡々と、まるでドキュメンタリーのような温度で描かれます。
- アンナ・カリーナの美しい娼婦っぷり
- ミシェル・ルグランの音楽はやっぱり良い
- 衝撃のラストシーン
原題の意味は「自分の人生を生きる:12のタブローに描かれた映画」という実にそっけないもの。ですが、その説明的な作りのおかげでゴダール作品の中では比較的わかりやすくなってます。最初に観たときの感想としては、あっけないの一言。売春してもヒモに捨てられてもそんなに重要ごとに見えないのはゴダールの才能か。悲劇と喜劇はいつでも背中合わせ、あまりにアンハッピーな結末はリアリティが全然なくてまるで、映画のようでした。(映画です)
好きなシーンがいっぱいあって、例えばナナが映画館で『裁かるゝジャンヌ』というサイレント映画を観るシーン。この映画は迫力の大うつしで会話シーンが描かれるのですが、そのオマージュっぽくナナの大うつしで涙を落とすショットが印象的です。それから、ヒモ男・ラウール(サディ・レボ)と煙草の煙を口移しするシーンもかっこいい。物語の終盤にカフェで哲学者と対話するシーンも良いです。これはなんと本物の哲学者ブリス・ パランとアンナ・カリーナによる即興なんだとか!この章のタイトル通り「ナナは知識をもたずに哲学する(Nana fait de la philosophie sans le savoir)」のである。
音楽はミシェル・ルグラン。悲しげな旋律のオープニングにはじまり、軽快なジャズに乗せてナナがダンスするシーンまで物語を盛り上げます。ルグランは映画の名曲が多すぎます!
[Photo: © 1962 LES FILMS DE LA PLEIADE. Paris]
白黒だけど鮮やか!